お世話になって居ります河瀬です。
春の新年度からGWも過ぎ、皆様も新生活開始から一段落ついた頃でしょうか。
教室でのレッスンも概ねご入会、お問合せのピークが落ち着き、スケジュールが決まって参りました。
前回は楽譜のお話を致しましたが、小さなお子様〜小学校の高学年くらいまでは譜読みというのは、なかなか負担の大きい作業になります。
楽譜には音、音楽の全ての情報を可能な限り詰め込んであるため、音符一つにも、高さ、長さ、だけではなく、沢山の情報が詰め込まれて有ります。
音楽の経験が無い大人でさえ、単純な高さ、長さを理解し、再現するだけでも相当に苦労されているため、お子様には一つずつ情報を分解して丁寧に時間を掛けて読む練習をしていく必要が御座いますが、限られたレッスン時間内で全てに取り組む事は難しく、年齢によってはその作業だけで疲れてしまい、演奏技術のレッスンまで気力が持たない場合が御座います。
実際のレッスンでは年齢に応じた理解可能な範囲で大まかな確認を一緒に行い、説明を行なった後、その情報を理解、再現する事が難しい部分はお手本を見せて実際の音を参照、或いは覚えて貰い、リテラシーの不足を補って貰います。
本来で有れば、思考から出した結果を正解と照合し、正誤の判定を行い、誤の場合、原因を考察といった流れが学習のセオリーであり、答えを先に覚えるというのは、計算結果だけを覚えて、解き方が身に付かない学習方法のように思えますが、決して無意味では有りません。
以前ブログで取り上げたピアジェの発達の理論では、発達にはその年齢に応じた思考のパターンがあり、発達とは大人の思考を総量とした際の、量的な増幅ではなく、質的な思考の変化で有り、当人の発達段階に至っていない学習は推奨されず、当人の発達に見合った活動を推奨していました。
それに対し、同時期の心理学者レフ・ヴィゴツキーは、「学習が発達を促す」という立場を取って居り、大人や年上の上級の学習者からの援助によって、当人の独学では成し得ない領域を引き上げることによって発達が促されるとされ、そうした他者からの援助による発達可能な領域を「発達の最近接領域」とし、教育に於ける重要な概念として重要視していました。
ピアジェの理論では楽譜の音符を再現する場合、楽譜の情報を理解出来ない段階の子どもにはそれ以前の学習が完了しておらず、難しい内容に無理に取り組む、覚える事は推奨されませんが、ヴィゴツキーの理論では他社の補助で成し得る領域で有れば発達可能な領域であるとされ、積極的に推奨されます。
私たち講師は楽譜の全てを理解してもらう事が出来なくても、楽譜の情報の一端を一緒に確認し、どの弦のどこを押さえ(或いはどの鍵盤)、どのくらい伸ばすのか、といったヒントを出し、リズムだけを取り出し手拍子で練習したり、音名で歌うことで音の高さを確認したり、可能な限り正解に近い領域まで導き、難しい部分のみ正解を提示し、正解への橋渡し(スキャフォルディング)を行い、子どもは徐々に最後の橋の渡り方を覚えていくといった事になります。
この時に講師が提示した正解の演奏を模倣することは決して無意味な鸚鵡返しではなく、新しい能力を獲得する手段とされ、そのような模倣が可能な範囲は発達可能な領域だとされています。
この模倣が出来る領域において、子どもが独力で正解に辿り着けない理由の一つとして、論理的な想像が出来ていないという事が挙げられますが、講師は独力で理解できる部分から正解までの道のりを可能な限り分解し説明し、一つずつクリアしていく事で独力で可能な領域を広げていきます。
論理的な思考の不足を他者が言語化することで、思考を文節化(分解)し、構造化(段階)することで、思考を学習していきます。
内面の発達が完了するとやがて思考が外面化するとされる経過をとるピアジェ理論に対し、ヴィゴツキーの理論では外的な働きかけによって内面の思考が整理され、論理的に構築されるとされます。
幼児が自己の感覚、感情を外的に表明する手段が非常に少ないのに対し、発達が進むことによって自己の内面の理解が整理され、言語による説明もより詳細に正確になりますが、その外的な共有可能な記号は社会に於いて使用されている範例を多く見る事によって学習し、実際に使用し、他者と理解、共感される事で、より自己の理解も深まっていきます。
音楽の演奏という感覚的な経験を学習する際も、外的な記号体系を他者からの言語による説明によって学習し、理解し、使用することでその思考は深まっていきます。
ヴィゴツキーは著書「思考と言語」で言語の学習と思考の関係性から発達を考察していますが、別の著書「芸術心理学」では、音楽を言語とは異なる心理的領域を組織する独立した文化体系と捉えています。
音楽は言語のような直接的な論理的思考だけではなく、感情と思考を結びつけ、直接的な意味を持たない音を、意味ある構造(音楽)として捉える力を育む代替不可能なものとして位置付けています。
また、音楽及び芸術活動を単なる感情の発散ではなく、社会的な文化内にある再構築された表現手段であると捉えています。
未発達な幼児の感情の発散と明確に区別され、他者(社会)と共有出来る文化的手段であり、言語や数学と明確に異なるルートの発達経路とされている音楽を学ぶことは、知的活動の飾りや他教科の補助ではなく、芸術それ自体が人間の心理の発達を方向付ける中核的活動であると考えていました。
ヴィゴツキーは37歳にして夭折したため、具体的な芸術教育、音楽教育の理論、方法、研究までは残されて居りませんが、芸術教育に情操以上の価値を置いていた事は確かであります。
私たち大人が子どもたちと音楽を通じて交流するとき、言語により伝えた内容は子どもたちの思考と感情を結びつけ、整理、構造化され、その内的世界は更に広く深まり、他者が表すものをより豊かに受け取れるようになるのかもしれません。

