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全ての子どもたちへ

河瀬です。

 

本日は教材と教育思想。

前回は基礎練習の重要性をスキーマ理論の観点から書きました。

しかし、実際のこども向け導入教材においては極力そういったものが省かれており、テクニックの上達という面では効率が悪いように思われます。

なぜでしょう。

答えはおそらくテクニックの上達以外のものを重視しているからではないでしょうか。

多くの方がお子様に音楽を習わせる理由として、豊かな感性や感情、自己表現というような情操教育的な目的がおありなのではないでしょうか。

寸分違わぬ正確な指先の動きを習得する事が最終目的ではないはずです。

科学的データは「どのようにするか」というただの手段であり目的ではありません。

 

私が子どもだった頃に比べると子ども向けの導入教材は相当に増え、ピアノ教材は先生がどれを使用するか悩むほど出版されています。

ヴァイオリンも何冊か出版されており、どれもポップでかわいいイラストや子どもらしい楽曲で親しみやすい作りになっているため、幼児レッスンの初期はそういった教材を使用しております。

しかし「親しみやすさ」という事もやはり手段でありシステマティックな教材と同様に「目的」を表していることにはなりません。

もちろん教材の制作側は音楽のテクニックだけではなく、情操に関わるその他の目的も考慮されていると思いますが、その中で重視される目的は、使用する先生、レッスンを受けるお子様と保護者の側に半分以上委ねられているように受け取られます。

そのような中、「鈴木鎮一バイオリン指導曲集」の著者、鈴木慎一は楽器のテクニックだけではないもっと上位の次元目的を明確に掲げています。

 

鈴木慎一はヴァイオリン教育の中では海外でも高い評価を得ている「スズキメソード」の創始者であり、幼児の母国語の習得に着眼し、楽譜によるリテラシーからではなく音から覚えるという発想から、当時前例も無く画期的であったレコード、CDにより音楽を聴いて覚えるという手段を使い、早い年齢でたくさんの曲を経験、習得する事に成功した指導法を確立した人です。

「鈴木メソード」は現在では奏法の古さや楽譜を読む力が育たないといった諸刃のデメリット等を挙げられる事も多くなりましたが、その教材自体は汎用性が高く、鈴木メソードの指導者でなくとも一般に多くの先生が使用されているため、多くのバイオリン学習者がその教材でレッスンを受けています。

 

鈴木慎一は明治31年という日本における西洋音楽黎明期から平成10年という長い年月をドラマティックに生きた方であるとされていますが、没後に出版されることになった最晩年の音楽教育観を著した「奏法の哲学(1999)」には巷に溢れる単なるハウツーではないヴァイオリンレッスンによって目指すものが書かれています。

 詳細は是非全編をご一読いただきたいのですが、本編最後の一文に特にその教育観が込められているように思います。

 

「人類にとって最も重要なことは、全ての子供をほんとうに美しい心の、好ましい能力の人間に育てることでしょう。」(太字は字上に点)

 

全ての子どもという壮大な規模、人類にとっての最も重要なこと、という確信を持った普遍的信念。

教育の仕事を行っていると、目指すべき目的はこちら(教師、講師)が考えるものではないのかもしれないという思いや、実際に出来る事はほんの僅かもないのではという思いが日々強くなっていくのですが、最晩年にしてこの凄み。

本文は非常に優しさを感じる文体、お言葉なのですが、仰っている内容は物凄い情熱を感じ圧倒されます。

大学を出たての頃に一度読んだきりだったのですが、少々の経験を積んだ今改めて読むと感服の念を禁じ得ません。

 

その一語一語に重みがあり、

「ほんとう」とは

「美しい」とは

「心」とは

「好ましい」とは

「人間」とは

哲学の命題のオンパレードのような単語で構成されています。

正に奏法の哲学。

 

 鈴木慎一の目指す目的を表したその言葉の意味はやはり音の中にあると思われます。

 

教育はその性質上どうしてもこういった深い領域を意識せざるを得ないのですが、また時間があれば少しだけその辺りも書きたいと思います。