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億劫

河瀬です。

 

今回は教材について。

 

楽器を始めた方が目標の曲を弾けるようになるためには、練習時間とレッスン時間の全てをその曲のみに充てるべきか、初歩の導入教材、練習曲等の副教材を併用しながら段階を経てレッスンを進めるべきか、最終的にどちらが最短かというと、答えは後者であると思います。

 

運動技能の習得に関して、Richard Schmibt(1975)のスキーマ理論等の実験、研究によると、ある特定の運動を習得するためにはその特定の運動のみを練習するよりも変動的に条件を変えて練習をした方が練習時間、回数が同じであっても高い結果を出す事が分かっています。

簡単な例としてはゴルフのパットの練習であれば3メートル先のホールに向かって打つという課題の場合、3メートルの距離の練習を繰り返すより1メートル、3メートル、5メートルといったように課題と違う距離を練習した方が本番の際に高い成功率を出せるという事です。

スキーマ(Schema)というのは認知心理学的な用語なのですが、この場合、運動技術の一般法則を導き出すための学習システムのようなものだと思っていただいて良いと思います。

先程のゴルフの場合、腕を動かす為に脳が出した出力命令に対し、実際に動いた身体の運動、それに対して移動したボールとの関数が一定の距離のデータしかない場合、公式を導き出す事が難しい。

話を簡潔にするために数字を簡単にしますが、脳から3の出力命令が出て動いた身体に対してボールが3メートル動いた事が分かったとしても、1メートルの場合に単純に1の出力命令で良いとは限らなく2かもしれません。5メートルの距離は5の出力ではなく8かもしれません。

脳からの出力命令と身体の動き、ボールの移動距離の関数は、おそらく少しの不能期から正の加速曲線を得て緩やかに負の加速曲線を描き頭打ちになるため単純な直線の正比例の計算は成り立ちません。

そのためデータは多ければ多い程正確な公式に近づくという事なのです。

そして身体は脳の指令に対して毎回完璧に正確な運動は出来ないため、動き出した瞬間から微調整を行いながら行動を遂行するので多くのデータから正確に導き出した公式を持っていた方がその微調整も正確になり、例え練習と同じ課題テストであったとしても違う条件で練習を積んでいた方がより正確な公式から導かれる微調整が可能なため、高い成績が出せるという事です。

 

どんな楽器でも、まずは身体を自分のイメージ通りに正確に動かす事が必要になり、その練習は同じ運動を繰り返すのではなく、違うパターンを練習した方がより自分のイメージと実際の運動と実際に出た音との関係の公式が正確になっていくため、具体的な課題曲を繰り返すより一般性を持った多くのバリエーションを練習する方が効率が良いと言えます。

 

そういった一般性を取得するための具体的な教材というと、ピアノで言えばハノン教則本、ヴァイオリン教材で言えばセブシック、スケール練習といった所謂基礎練習が挙げられます。

どちらも楽しい音楽とは言えず、修行的で経験上お好きな方はあまりいません。

 

ヴァイオリニストのカールフレッシュが書いたスケールシステム教本は、音大、芸大の入試で採用される程スタンダード且つシステマティックな教本ですが、その教本の最初にある本人による前書きの抜粋をご覧ください。

 

「”ヴァイオリン演奏の技法”第一部では紙面に限りがあったので、ハ長調の音階だけを基本形として発表し、あとは学習者に任せました。

(中略)私自身の観察と人からの報告にはがっかりさせられました。学習者の多くは変調することをおっくうがり、ハ長調の音階だけを練習していたのです。二十四種類の音階を練習していたヴァイオリン奏者が、ハ長調だけを練習していた人々に比べてまさっていた理由はここにあったのです。そこで私は…二十四の調性からなる、完全な音階練習を出版することにしました。」

 

スケールとはドレミファソラシドのように音がある規則によって順番に並べられたものですが、ドレミファソラシド、だけでなく、レミファソラシドレ、ミファソラシドレミ、といったように24種類ある他の組み合わせも、書かなかったけど全部練習するように、という旨がほとんどの方に守られていなかった事に対して24種類全ての音階をやっていた方は良い結果を出していた事が書かれています。

「おっくう」という気持ちは大変わかりますが。

Richard Schmibt等の研究が行われる前に、指導の経験則によってその効果を確信していたカールフレッシュはやはり偉大でありますが、どんな楽器であっても伝統的な所謂基礎練曲がそれ以前にも多く存在する理由を考えれば当然とも言えます。

 

基礎練をする理由はどんな曲でも弾けるようになるためという汎用性の問題だと思っていらっしゃる方も多いのですが、例え目標がたった一曲だったとしても基礎練は効果的なのです。

 

しかし、大人であればそのような練習も可能ですが、お子様に退屈な練習を続けさせる事はなかなか難しい。

僕もできれば避けたい。

実際こども向け導入教材にはそのような単元はあまり入っておりません。

楽しさや音楽に触れるというテクニック以外の事が重視されているのでしょう。

また書ける時間があればそういった教本についても書こうと思います。